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こんにちは、とものすけです。

最近、将棋と麻央さんの追悼の話が連日続いてますね。
どちらも報道の白熱ぶりに、どことなく違和感を感じます。

長野の地震、北朝鮮のミサイル開発、自民党のあれこれ、気になるニュースはどこへやら。
特に北朝鮮のミサイルは、年末にはアメリカまで届くほどに開発が進むだろうと予測されていると伺いました。
海外メディアはみんなして取り上げてるのに、日本でそのニュースを取り上げたのは、たった1つの新聞社だけだったとか。

だんなや友達とそんな話をする中、今話題のニュースについて、うちの子供にも聞いてみました。
ゆっくり言葉を選んで、しっかりと、自分はこのニュースに対してこう思うと、意見を話してくれました。

私は恥ずかしながらこの歳まで、社会に全然無関心でした。
なので若いのに、こんなしっかりしてたんだ!と、だんなと二人して感心しきりでした。


この世で無関心であっても、特に罪には問われません。
しかし、あの世では、無関心は大きなマイナスポイントです。

なぜでしょう?
愛情の反対語は、憎しみではなく無関心だからです。

相手を理解することは愛することと、同じです。
でも、相手に対して無関心でいたら、理解することもできない、理解しようとする気すら出ない。
しかも自分が無関心でいることに気づくことはなかなか難しい。

ずいぶん以前に、 ∀ wide  (すべて、幅広く) というメッセージをもらいました。
それ以来、身の回りすべてに関心を持ち、できるだけ幅広くものを見よう、と考えるようになりました。

歳を重ねるといろんなことに関心が薄れて、気がつけば自分の昔話や、体への関心だけに絞られてきます。
自分が関心の持てない分野でも、話題になった時にはちょっと覗いてみるのは、とてもいい勉強になります。
関心を持つ、という意識を忘れないようにしたいものです。

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2017.06.29 Thu l とものすけ論 l コメント (0) トラックバック (0) l top
こんにちは、とものすけです。

この世に産まれてくる大きな理由の一つに、あの世では同じ価値観の人としか一緒にいられないということがあります。

自分と意見の合う人といると、誰でも心地よく感じるものです。
でも、良くも悪くも、刺激が少ないんですね。

違う意見を聞いて、そうい捉え方もあったのか!と、目からウロコが落ちるようなこともあります。
何であの人はあんな風なんだろう…と、違う性格のひとを理解することで、人間の器が広がります。

そうしたことを学ぶため、今世ではこうした修行をしてきますと、自分の人生の課題を決めて、生まれる土地を選び、親を選んで産まれてきます。

自分にとって嫌だなぁと思う相手は、自分も同じようなところがあるか、全く理解しづらい反対のタイプかどちらか。
どちらにせよ、自分にとって必要なことを教えてくれている先生であり、人生の課題を手伝ってくれる人に違いありません。

人に嫌なことをすれば、因果応報でその報いは今世や来世で同じことをされる時が来ます。
それでも私のために意地悪な役目をかって出てくれてるわけです。
反面教師にする、言いにくいことをはっきり言うための練習台になってもらう、嫌なことをさらりとかわす練習相手になる…
課題を学ばせてくれていると考えれば、嫌いな人というのは、実にありがたい存在なんです。

人間ですから、嫌いな相手は嫌いでも構わない。
でも、どんなことにも意味があって、今の自分に必要な環境が与えられています。
嫌いな相手も自分にとって必要だから、そこに居てくれることに感謝しなければなりません。


そう、私は考えています。

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2017.06.22 Thu l とものすけ論 l コメント (0) トラックバック (0) l top
こんにちは、とものすけです。

信者の皆さんの奉仕で、うちの宗教団体は成り立っています。
しかし、ボランティアの難しいところは、お金を頂かない分、自分のやりたいやり方にこだわって、ワガママが出る。
相手のやり方が気に入らない、ささいな一言が許せない。
女性が多く集まることもあって、細かいところまで見えてしまうんですね。

あの人がこう言ったから、もうやらない!と、拗ねてしまうこともしばしば。
特定の人ではなく、ほとんどの人が多かれ少なかれ、そんな感じです。

本当は、そんなことを言ってても仕方ない、こだわっててはいけない。
わかっちゃいるけど、でも「こんなこと言われて!」と、まるで昨日の話かのように、過去の怒りを思い出しては話されます。

無償といえど仕事は仕事です。
要領の良い人もいれば、そうでない人もいる。
また、上に立つ人は少々使えない人でも、うまく仕事を回していく必要があります。
お金がもらえればお互い我慢料ともいえるけど、ボランティアだとそうはいかない。

そんな中で、役職の◎◎さんが、◻︎◻︎さんという方のことで悩んでいました。
◻︎◻︎さんとは、私もしばらく仕事を一緒にしましたが、遅刻する、待ち合わせを勝手に変える、自分が言ったことに責任を持てない、そして人が悪いと言いふらす…
なかなかの困ったちゃんでした。

逆に、◎◎さん自身も、ちょっとした一言でキレる、瞬間湯沸かし器みたいなところがあります。
人の言葉が「どういう意味なんだろう…」と、気になって仕方ないんですね。

私もそうだったから、すごくよくわかる。
これってすごく辛いです。
じゃ、どうしたらいいですかって、コツコツと手放す訓練をするしかありません。

だんな様は俯瞰型で、10歩下がって自分を見つめて、そんな事でイライラしてて、お前は幸せか?23時間幸せ計画に反してないか?
そう、自分に問い合わせて、頭を冷やします。
※俯瞰(ふかん)とは、高いところから見下ろすことです。

私は分析型で、その人がどういう思いでその言葉を発したのかを考えます。
例えば、私があの人は皮肉を言った!と感じたとします。
ても、その人はそういう意味で言ったわけではない、ということはけっこうあるんです。
どう考えても皮肉で発言したならば、この人はこう感じて、そう言いたいんだな、と理解して、受け入れます。
私と人とは当然感性が違うので、同じものを見ても感じ方が違う。
それを許容するわけです。

これは、自分のための訓練です。
日常的にイライラさせられることなんて、山ほどありますから(笑)、人格向上の材料は事欠きません。


良くないな…と思いながらも、感情がコントロールできない。
こうした人はまだ大丈夫、自分を客観的に見ることができていますから。
実は意外と、自分が怒っていることすらわからない、自分の感情が見えていない人もたくさんいます。
こういう人は「何で怒ってるの?」と聞くと、「怒ってない!(-"-)」なんて平気で言うので、取り付く島もないんですね。

怒ってる人の息を集めて水に溶かすと、猛毒になるそうです。
怒るな、というのは無理ないですが、いち早く冷静に怒りを整理する必要はあります。
怒ってないよと、怒りに蓋をするのもよくありません。
何かにつけ思い出しては、「あの時さぁ、あの人にこう言われてぇ!」なんて、感情をこめて話をしているようなら要注意。
同じことを話しても、「こんなことあったよね〜」と、サラリと、もしくは笑って話せた時、その人は怒りを手放せていると思います。


《参考サイト》 我楽多電子盤 http://deco-pon.org/index.php/page/noradrenaline

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2017.06.22 Thu l とものすけ論 l コメント (0) トラックバック (0) l top
こんにちは、とものすけです。

自信を持ちなさい、何度も何度も言われました。
何か上手くいかないと落ち込んでは、Kちゃんや、だんな様に励ましてもらいました。
それでも、自分に自信が持てませんでした。

Kちゃんが言います。
「とものすけさんは、あれもこれもできることがたくさんあるよ。自信を持って」
…いや、自分より優れた人はたくさんいるし、あれもこれもできないから、上手くいかないし。

だんな様が励ましてくれます。
「とものすけは、ずっと頑張ってるよ。以前と比べてごらん、すごく成長したじゃない」
…いや、今現在がんばれてないから。

本当に、鬱モード突入した私は、マイナス思考が半端ないです。
どうしたら、そこまで捻くれた考え方できるのかしら?と、普段の私なら呆れるんですけどね。
鬱になる時は、たいてい間違った方向にがんばってしまい、上手くいかなくて余計に力んで、体力精神ともに力尽きてしまうことがほとんどです。
そんな私が自信を持つなんてできないと、ずっと思っていました。

ところがある日、考えたんです。
自信を持つということを、勘違いしているのではないかと。

何かができることで自信を持とうとすると、それができなくなった時に、自信を失ってしまう。
以前の自分と比較して成長したことに自信を持とうとすると、もっと成長しなければ自信を持ち続けられないと、焦りを感じてしまう。
そんな不安定なものではないはずだ…

本当の意味で自信を持つということは、「どんな状態の私でも、私は私でいい」と、認めることができること
それは絶対的な自信だ!と考えました。


宇宙の全て、自然も、あらゆる生き物も、無機物も、神様の光が集まって凝縮してできています。
もし仮に神様が要らないと思われたら、簡単に消滅してしまう存在です。

でも私たちの魂は、どんな失敗をしても、不完全なままでも、消滅することはありません。
つまり、私たちは神様に愛されていて、存在を許されているのです。


親が愛してくれなかった。
友達は誰も理解してくれなかった。
伴侶は認めてくれなかった。

そうした環境だったとしても、神様は慈悲の心でいつも見守ってくださっています。
産まれる前からずっとついててくれる守護霊も見守っています。
ご先祖の中で成仏された方たちも、見守ってくれています。

また、私たち人間の魂は、神様の分け御霊であり、神様の子供です。

私たちは神様の子供として、分け隔てなく愛されている。
神様から愛されているのですから、不完全でも不安定でも、もっと自信を持っていい。


私も神様の子供、今日会う誰かも神様の子供。
そう考えると、誰に対しても優しくあろうと思えるのです。

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2017.06.22 Thu l とものすけ論 l コメント (0) トラックバック (0) l top
こんにちは、とものすけです。

あなたは、どんな時が幸せだと思いますか?
23時間幸せ計画を打ち立てる以上、そこの研究は怠れません笑

美味しいものを食べた、旅行やイベントに出かけた、何か嬉しいことがあった。
自分に関することを喜びとし、幸福感を感じるのは当たり前ですよね。

では、周りの人に嬉しいことがあった時、心から良かったね!と思えるでしょうか?
友達がダイエットに成功した、きれいになった、結婚した。
隣のだんなさんが出世した、転勤してよりよい会社に勤めることができた。
子供と同じ学校を受験した子が合格して、自分の子供は不合格だった。

「すごい、うらやましい!でもホント良かったね。」なんて、と笑って言える人は大丈夫。
いいなぁ、それに比べてうちは…と、内心思うようなら要注意。
ちくしょう、あいつばっかりいい目を見やがって! なんて考えてたら重症ですね。

自分の周りの人が褒められたり、その人に良いことがあったら、心からおめでとう!良かったね!と言える人は本当に幸せです。
自分だけの喜びには限度がありますが、周りの人の喜びも幸せだと感じられる人は、無限に幸せが大きくなっていくからです。


私の喜びは、目の前の人が笑顔を見せてくれること。
話すことは、(執着を手)放すことに繋がります。
私と話したあと、「気持ちが軽くなった!」と言ってもらえた瞬間は、最高の誉め言葉です。

とはいえ、こう考えると楽になるよ、といったことを話すものの、人によって受け取れる言葉も違うし、タイミングもある。
まして、未熟な私の言葉では、うまく伝えられないどころか、それは違うと思っていても話を切り出すことすらできないことも多々あります。
神社にお参りすると「いつもありがとうございます。これからも精進してまいります。」と言いますが、先日はモチベーションが下がりすぎてて、「言葉だけか?」と神様に問われてしまいました。
Kちゃんは、「神様、キビシ~~!!」なんて言ってましたが、厳しいお言葉をいただけるようになったのは、自分の精神性が上がり、修行の段階が上がった証拠なので、ありがたいことなんです。

あれをこうすれば良かった、こう言えば良かった、〇〇さんは本当はここまでやってほしかったはずなんだよね・・・
そんな風に凹む私に、Kちゃんもだんな様も、「ステップが大事、反省しても落ち込まないこと」と、励ましてくれてます。

ドンマイ、ドンマイ、次行こう、次!!
兎にも角にも、がんばります!

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2017.06.22 Thu l とものすけ論 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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